いたがき通信 Vol.48 2024年春号

きてん ~起点・出発点となった場所、赤平~

1982年、いたがきの出発点となった地、赤平。時代に流されない、いたがきらしいものづくりがここから始まりました。時を経て、令和には新たに文具グッズ「Zu Hause」シリーズが誕生。仕事に、趣味に、勉強に。新たな一歩を踏み出す季節が今年もやってきます。

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特集 きてん ~起点・出発点となった、赤平~

知られていない、材料調達もままならない
赤平という地で職人が貫いたものづくり

 赤平駅で下車し散策していると見えてくる、炭鉱マチの面影。かつて東洋一とも言われた旧住友赤平炭鉱の立坑やぐらは、今でも赤平のシンボル的建造物であり炭鉱遺産として保存されています。

 自然の色彩ゆたかな赤平は1891年に開拓の鍬がおろされ、大正から昭和にかけて石炭の街として発展を遂げました。最盛期には77もの鉱山がありましたが、エネルギー需要の転換とともに石炭産業の衰退を余儀なくされ1994年には最後の鉱山が閉山。しかし、赤平市は炭鉱全盛期の頃から工業団地に道内外の企業を積極的に誘致し、多くの工場が操業。「鉱業から工業へ」を合言葉にものづくりの街へと変化していきました。

 東京のかばん屋に15歳で丁稚奉公に入り鞄職人となった創業者・板垣英三は、20年後に遠く離れた北海道赤平で鞄づくりをするとは思ってもいなかったでしょう。家族と一緒に北海道・赤平の地を踏んだのは1976年のこと。前職のエースラゲージ(株)が神奈川県小田原工場から新たに赤平へと生産基地を移し、英三はスーツケースを製造するラインの責任者として開発・製造に打ち込みます。しかし、高度経済成長時代、大量生産のものづくりを経験していく中で、かつての修行時代のように「職人が一つ一つ作りあげるタンニンなめし革の鞄作りを誰かが残さなければならない」という使命感を感じるようになり独立を決意。退職後は東京に戻るつもりでいましたが、赤平に留まってほしいという周囲の声や、この土地で育った子どもたちのこともあり、選んだのは赤平での創業の道。当時としては無謀な選択とも言え、人の想いを重んじる英三の勇気ある決断でした。

 1982年、元教員住宅一棟二戸建ての建物から鞄いたがきはスタートしましたが、タンニンなめしの革の良さも知られていない上、それを求めるお客さんもいませんでした。いたがきの第1作目、その後の代表作となる「鞍ショルダー」開発に取り組む傍ら、当時は革が安定調達できなかったため豚革や出ものなどクロームの革も含め、手に入った革に合わせて小銭入れなどの小物を作り行商して歩きました。東京の鞄業界に知り合いがいたおかげで、商品を仕入れたり、金具や内装地などの副材を手配してもらうことはできたものの調達できる素材は限られていました。当時は運送費も交通費も電話代も高く、東京に出張するのもお金がかかり、やり繰りしながらの毎日。転機が訪れたのは1986年、通販会社カタログハウスの紙面に鞍ショルダーが掲載されたことで、全国にいたがきを知ってもらうきっかけとなりました。時を同じくしてJR北海道の寝台特急列車「北斗星」のルームキーに採用されたり、1992年に開港した新千歳空港での販売が始まるなど、いたがきの鞄や革製品が北海道を飛び出し全国に向けてより多くの人の目に触れることになりました。

 ことあるごとに「よく今まで会社がもった」ということを呟いていた英三。市場からも遠く、人が集まる都会からも遠く、材料調達もままならない地での創業のリスクは計り知れないものだとわかっていましたが、ただ「なんとかするしかない」という一心で前進してきました。結果的に世の中に振り回されず、自分を貫くことができたのは、市場から遠くに位置するこの場所だったからかもしれません。

人に会えない、出かけられない
コロナ禍のstay homeから生まれた製品

 いたがきの出発点、起点となった赤平で、時を経て生まれたのが、英三の孫娘 貴美子の発案によるタンニンなめしの革で作るステーショナリーアイテム「Zu Hause」シリーズ。コロナ禍のリモートワークやステイホームが開発のヒントとなりました。キーワードは、「おうちで使える革製品」。昔は身につけるファッション的要素よりも、実用的な活用方法が多かったタンニンなめしの革は、立体的に型出ししても形が崩れないためデスク回りのアイテムに向いています。トレイやペン立てなどは、細かい物入れとして自己主張しなくとも、素材の質感からインテリアとして引き立つ存在。デスクマットには文字を書くときに程よいクッション性が生まれます。おうちでも仕事に集中して向き合える「Zu Hause」は、新たにスタートする人を応援するシリーズです。

「Zu Hause」シリーズはこちらから

 「時代に流されない」「まねはしない」「妥協しない」いたがきらしいものづくり。もしも、始める場所が違っていたら、今と同じ道を歩んでいたでしょうか。都会とは違う時間が流れる、ものを作り上げていくことにじっくり向き合い、考えてものづくりに取り組める。そうさせる空間と時間が、確かにここ赤平にはあると思うのです。

つくるプロが認める 鞄を使うプロ。

 富良野市で農家を営む田村様ご夫婦。ご主人・翔亮様はキャメル、奥さま・寛子様は赤と、お揃いでお持ちの「E160ドル入付札入れ」は結婚記念として購入いただいた思い出の品です。今回はお嬢さま・こと葉ちゃんも一緒にご来店され、お気に入りの160番のお財布についてお話を伺いました。

ー 160番のお財布、ご購入のきっかけは?

 結婚前に祖母から「二人で好きなものを」とお祝いをもらい、2人とも好きな革製品を北海道ブランドで探そうとあちこちの革製品を見ていました。ようやく自分たちの納得のいく欲しいものが見つかった!と思えたのが160番でした。

 

ー 使用年数は?

 4年半くらい。160番のお財布をきっかけに、名刺入れや小銭入れ、ハンドバッグなどの他アイテムも購入し気に入ったので、家族や友人に勧めたり、プレゼントに選んでいます。

 

ー お気に入りのポイントは?

 手に収まりが良いのに、見た目よりも収納力があるので使いやすい!自分たちが必要な現金やカードが全て入りますし、外ポケットにはカードキーを入れたりできるので便利。多すぎず少なすぎず、程よく整理整頓しやすいサイズです。

 

ー いたがきの革製品を選ぶ理由は?

 「使いやすさと、持った時の手に伝わる革の感触。お店に来た時にはコンニャク引っ張り交換やホック交換など、お手入れや細かいメンテナンスもお願いしているので、アフターケアも安心ですね。(翔亮様)
 年齢を重ねてもずっと使えるベーシックなデザインが一番の決め手!もともと流行性のあるデザインは使わないので、自分が一生使いたいと思えるかどうかで選びました。(寛子様)

 ご結婚やお子さまの誕生など「2人の歴史を見てきた共に過ごした大切なお財布」と語ってくださるご夫妻。製品への名入れも気に入っていて、寛子様は自分の旧姓がそのままイニシャルとして財布に残ることも良い思い出とのことで、作り手の心まで温かくなるお話を聞くことができました。ありがとうございました。

ドル入れ付札入れ 誕生30周年

 “160番”の愛称で人気のお財布「E160ドル入付札入れ」、おかげさまで発売から30年が経ちました。「ほかの財布に浮気したけど戻ってきました」「家族みんなで色違いで持っています」との声や、ご自身が愛用する納得のアイテムとして贈り物に選ぶ方も多いロングセラーです。

 30年前すでに発売していた2つのアイテム、現在の「E183プレイングドル入れ」と「E177二つ折り札入れカード専用」をドッキングさせたら便利では?という板垣江美の発想から、創業者・板垣英三の一番弟子である羽原吉正さんがサンプリングに着手。しかし、二つの異なるアイテムを縫い合わせることは手間が掛かり、いかに難題なことか。160番のような構造は他に目にすることがなく、型をおこしサンプリングに取り掛かった羽原さんはその難しさにすぐに気づいたはずですが、無理とは言わず、手間を厭わず、完成度の高いサンプルができあがりすぐに商品化となりました。

 修理しても使い続けたいという方が多く修理件数が一番多い160番。初期モデルからの改良では、カード入れの裏地をアイロン地に替えることで作りを効率化したり、修理がしやすいよう縫い合わせのステッチを内装地の上からも見えるようにしました。
 ファンが多い理由のひとつは、その収納力や使いやすさ。小銭、カード、お札が全て同じ方から取り出せます。さらに、ステッチの繊細さも魅力のひとつ。160番にはステッチの切り替え箇所が多くありますが、蛇行せず、均一なステッチ間隔なので切り替えていることがわからないほどです。
 手に取るたびに革が馴染んでいく愛着と、細かな職人仕事をぜひ実感してほしい、いたがきのNo.1折財布です。

Topics 協力工房「羽原コレクション」

 “160番”こと「E160ドル入付札入れ」の製造を担当しているのは、いたがきの協力工房「羽原コレクション」です。160番の生みの親である羽原吉正さんが立ち上げた工房で、今年で設立32年を迎えました。自身も車椅子生活をしていた羽原さんは、板垣英三に師事してものづくりの腕を磨いたのち、障がい者が技術を習得し自立出来る場を作りたいと、自宅を工房に改装。同社オリジナルの革製品も展開する一方、財布やステーショナリーなどいたがき製品の製造も長年担い続けています。
 残念ながら羽原さんは2003年に亡くなりましたが、その意思を受け継いだスタッフ達により羽原さんの繊細なステッチや手間を厭わない丁寧な仕上げは160番をはじめ多くの製品に今も生きています。

直営店紹介 ~ようこそ、いらっしゃいませ!~

新千歳空港 クラフトスタジオ店

 様々な旅立ちと新生活への期待が交差する新千歳空港。

北海道の春らしい爽やかな風が吹き抜ける中、見送る側も見送られる側もお顔を拝見していると春めく思いが溢れんばかりに伝わってきます。

皆様が新しいステージへの一歩を踏み出すその瞬間を、北海道の大地がいつでも応援しています。

 そんな応援する気持ちを感じていただけるように、北海道にゆかりのある動物をモチーフにして革タグを製作しました。

 第2弾はシマフクロウです。フクロウは縁起の良い動物であり、シマフクロウは日本国内では北海道にだけ生息する世界で一番大きな種類です。その一番の特徴でもある大きくはねた耳羽を忠実に再現した愛らしいデザインとなっています。

 5月には第1弾で登場した大人気のシマエナガタグの再販も予定しておりますので、この春、ぜひ新千歳空港クラフトスタジオ店にお立ち寄りください。皆様のお越しを心よりお待ちしております。

京王プラザホテル 札幌店

 2007年に道内初の直営店舗として誕生した京王プラザホテル札幌店。豊かな自然と都会が織りなす札幌で、日々の出会いに感謝しながら過ごしております。そして、この度2024年2月には正面入り口横に移転オープンすることとなりました。「プラザ=広場」の名前に相応しく、人々の行き交う様子をより感じることができる場所にお店を構えることを大変嬉しく思っております。

 これからは、より多くの方に目にしていただける機会が増えるため、私たちスタッフも新たな気持ちでお客様をお迎えし、皆様の大切なひとときにふさわしいお店であり続けていきたいと思います。

 まもなく新年度を迎えます。この春から新たな環境で生活をされる方も多いのではないでしょうか。ぜひご自分用に、または大切な方への贈り物として、名刺入れやパスケースなど日常使いの人気アイテムをご検討ください。お名前の刻印をすることでオリジナルの一品に仕上げることができます。新たな場所と共にスタッフ一同、皆様のご来店を心よりお待ちしております。

編集後記

「きてん」をテーマにスタートした2024年のいたがき通信。第一弾の特集は、起点・出発点となった赤平と創業者の思いにスポットを当てました。いたがきのものづくりは、これまでも、これからも、赤平の自然と人に見守られながら続いていきます。次号の特集もどうぞお楽しみに。