赤平駅で下車し散策していると見えてくる、炭鉱マチの面影。かつて東洋一とも言われた旧住友赤平炭鉱の立坑やぐらは、今でも赤平のシンボル的建造物であり炭鉱遺産として保存されています。
自然の色彩ゆたかな赤平は1891年に開拓の鍬がおろされ、大正から昭和にかけて石炭の街として発展を遂げました。最盛期には77もの鉱山がありましたが、エネルギー需要の転換とともに石炭産業の衰退を余儀なくされ1994年には最後の鉱山が閉山。しかし、赤平市は炭鉱全盛期の頃から工業団地に道内外の企業を積極的に誘致し、多くの工場が操業。「鉱業から工業へ」を合言葉にものづくりの街へと変化していきました。