鞄いたがき こぼれ話

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『北の鞄ものがたり』より⑫

北室かず子さん著の『北の鞄ものがたり〜いたがきの職人魂』から、職人たちの時代やいたがきの製作秘話を抜粋して、毎日少しずつお届けします。

※鞄いたがき公式HP「北の鞄ものがたり」特設ページ

https://www.itagaki.co.jp/syoseki/

「鞍ショルダーに宿る5つのITAGAKI」

その5:匠の技

「匠の技というのは、本当に考え抜かれた、目には見えない技術なんです」と語る英三は、日本職人が幾重にも手間をかけてなし遂げてきた目には見えない技術をとても大切にしている。

「日本がものづくり王国となったのは、昔からそういう目に見えない部分に気付き、その仕事を残そうとした職人と、それを支えた文化人と呼ばれる人たちがいたからです」

実際に鞍ショルダーに触れると、澄んだ空気のような心地よさを感じる。それは、財布やスマートフォンケース、ベルトなどにも共通している。素材の下処理、一見直線に見えるわずかなカーブ、視線を惹きつける磨き。また、壊れたら捨てるのではなく、修理できること。いずれも日本の職人ならではの技術だ。

「いつか、本物を作りたいと願う若者が現れたとき、手本になるものを残したい」。

鞍ショルダーは匠の技を伝える未来へのバトンでもある。

投稿者:京都御池店

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『北の鞄ものがたり』より⑪

北室かず子さん著の『北の鞄ものがたり〜いたがきの職人魂』から、職人たちの時代やいたがきの製作秘話を抜粋して、毎日少しずつお届けします。

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「鞍ショルダーに宿る5つのITAGAKI」

その4:金具・名脇役たち

持ち主が幸せであるようにと願って添えられた鞍ショルダーの小さな黄金色のあぶみ

(馬に乗るときに足場となる金具)。いたがきは、職人が使う道具からファスナー、鋲類、ハトメなどの金具、布袋にいたるまで細部にこだわりを持つ。

あぶみの素材は鋳物(砂でできた型に流し込んで作る)の無垢の真ちゅうで、表面だけをメッキで加工したものではない。

真ちゅうは、銅と亜鉛からなる合金で、留め具として革馴染みがよく、革を傷めず、金を寄せ付けない。いたがきでは使いやすさを追求した自社オリジナルをオーダーメイドしている。

真ちゅうは、時間と共に色合いがやわらかく変化し、タンニンなめしの革のエイジングとの相乗効果で独自のヴィンテージ感を生み出す伝統的素材。

小さな金具にも、歴史と新年が秘められている。

―続く―

投稿者:京都御池店

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『北の鞄ものがたり』より⑩

北室かず子さん著の『北の鞄ものがたり〜いたがきの職人魂』から、職人たちの時代やいたがきの製作秘話を抜粋して、毎日少しずつお届けします。

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「鞍ショルダーに宿る5つのITAGAKI」

その3:手しごと

かつて、炭鉱というとてつもなく巨大な産業で栄えた赤平市。その風土に根差すいたがきにも、“個人の能力をともに生かす”というチームワークの空気が満ちている。

革は、機械で作る素材とは異なり、一枚一枚状態が違う。そのため各工程で一人一人が積み重ねていく作業が、最後の仕上げに大きく影響する。

例えば、革の裏側を手で触れて、銀面(表面)かわら見えない傷や色むらを見つけ、その場所を避けて裁断する、縫製しやすいように部分的に革を漉く、鞄の輪郭にとって重要なコバは、わずかなざらつきも削り落とし、専用の仕上げ材を丁寧に塗り、磨き、見た目に美しく指通りよく仕上げる。ほかにも糊付け、縫製、検品、販売、広報、修理など、誰かの作業が一つ欠けても鞍ショルダーにはならない。「人がいるからできる」。鞍ショルダーには確かに人が生きている。

―続く―

「鞍ショルダーに宿る5つのITAGAKI」

投稿者:京都御池店

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『北の鞄ものがたり』より⑨

北室かず子さん著の『北の鞄ものがたり〜いたがきの職人魂』から、職人たちの時代やいたがきの製作秘話を抜粋して、毎日少しずつお届けします。

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「鞍ショルダーに宿る5つのITAGAKI」

その2:ステッチワーク・捻引き

鞍ショルダーを目にしたとき、不思議と鞄全体がほのかな光の曲線で包まれているように感じられる。その理由を英三に聞くと、「いい鞄にしたいという心と、どうしたらいいのかと考える頭を、手が結んだんです」といたずらっ子のように笑う。

「手」というのは技術。丁寧に磨いたコバ(縁)に沿ったステッチワークが自然と視線を引き寄せるような質感やメリハリを生んでいる。そのベースとなるのは作業前のパーツに入れる焼き溝、「捻引き」。ものづくりの現場で、手を使って「念には念を入れる」ことも意味する作業だ。金属の二枚羽に熱を通し、実際に縫う捻と飾り捻(縫い線を引き立てる)を引くと、このレールのような捻に丈夫なナイロン糸の縫い目が埋め込まれ、擦り切れにくくなる。さらに結び目を熱で溶かして固め、木槌で埋め込むと、しっかりと止まり目立たない。

職人気質とは、ここまで手間をかける。細やかさが違う。

―続く―

投稿者:京都御池店

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『北の鞄ものがたり』より⑧

北室かず子さん著の『北の鞄ものがたり〜いたがきの職人魂』から、職人たちの時代やいたがきの製作秘話を抜粋して、毎日少しずつお届けします。

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「鞍ショルダーに宿る5つのITAGAKI」

その1:タンニンなめしの革

いたがき製品の特長のひとつが、アカシア属のミモザのタンニン(渋)でなめした上質な牛革。手にした触感が心地よく、触れるとなぜか手放せなくなってしまう。

その製法は、「ピット製法」と呼ばれる国内でも希少な技術。インスタントが当たり前の時代に、驚くほどの時間と手間をかけている。

革職人にとって、これほど憧れの素材はないが、その一方で技術がなくては手が出せない。

なめしたての時は反抗期の若者のように頑固で扱いにくい。だが、熱を加えて行う捻引き(ねんびき)や研磨、丈夫なナイロン糸での縫製、丹精を込めた手仕事すべてを吸収して、美しいフォルムに変える強靭さを持つ。

そして持ち主と時間を共有するうちに、エイジングによって優しい手触りや独特の艶や色合いを深め、世界でたった一つの存在になる。

―続く―

投稿者:京都御池店

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『北の鞄ものがたり』より⑦

北室かず子さん著の『北の鞄ものがたり〜いたがきの職人魂』から、職人たちの時代やいたがきの製作秘話を抜粋して、毎日少しずつお届けします。

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「鞍ショルダーに宿る5つのITAGAKI」

■鞍ショルダー

革の上質さがひと目でわかるキャメル色と、バランスのとれた凛とした表情が

見る人の心をとらえる品番E919「鞍ショルダー」。鞄職人・板垣英三が創業を決意した時、

持てるすべてを注ぎ、精魂込めて作り上げた。このかばんには、「いたがきらしさ」がにじみ出ている。英三自らが受け継いできた日本のものづくりの魂が宿り、たくさんの出会いと地域への思いが込められている。

鞍ショルダーは57のパーツからなる。そのひとつひとつは牛の革の各部位の特徴を生かしたものだ。繊維の密度が高く、張りのあるヒップ(お尻)の皮は鞄の姿を美しく見せるボディーに、背中の最も固い部分は強度が求められる鞄の底に、しなやかなネック(首)の皮は、優美な柔らかさを表現したい部分に。

だからこそ完成した鞄には、まるで鞄そのものが呼吸しているような、安定した自然な美しさがある。

―続く―

投稿者:京都御池店

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『北の鞄ものがたり』より⑥

北室かず子さん著の『北の鞄ものがたり〜いたがきの職人魂』から、職人たちの時代やいたがきの製作秘話を抜粋して、毎日少しずつお届けします。

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■鬼気迫る職人の仕事③

ある日、師匠が、兄弟子たちと手縫いの競争をやってみろという。金銭を賭ける者まで現れた。英三は3人の先輩と対決する。しょせん勝てるはずがないと落ち着いて手縫いを進める英三に対して、先輩たちは圧倒的な速さを見せつけてやろうと気がはやった。すると縫い損じて糸をほどいては縫い直すというのを繰り返しているうちに、亀の歩みだった英三が追いつき、やがて追い越して一番に。賭けは膨らんで3万円にもなった。褒美に両親にも会いに行かせてもらえ、母に“いの一番”にお金を渡した。

師匠のところには弟子入りする後輩も後を絶たなかったが、みな、3か月を待たずに辞めていった。いつまでたっても英三は最年少のまま。それでも丁稚奉公を続けたのは、手に職をつけて父母を助けたいという一心からだった。

職人が最高のものをお披露目する年に一度の展示会として、三越の逸品会という催しがあった。師匠は精魂込めて鞄を作っていた。「ところがあろうことか、私が居眠りをして、師匠の鞄に墨を落として台無しにしてしまったんです。でも師匠はひと言も怒らなかった。それからずっと後、江美が生まれた時に師匠に挨拶に行きました。とても喜んでくれて、お前だけだって、来てくれたのって。そして聞いたんです、なんであの時に叱らなかったんですかって。そうしたら師匠が、お前、あのときもしも俺が怒ってたら電車に飛び込んでただろう、俺はそこまでアホじゃねえよって。その10日後に、師匠は癌で亡くなりました」。

―続く―

投稿者:京都御池店

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『北の鞄ものがたり』より⑤

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■鬼気迫る職人の仕事②

師匠がハラコのバッグを納めた話も語ってくれた。

「ハラコっていうのは母牛の胎内にいる子牛の革で、一度も外気に触れていなければ日光にも当たっていない。これは偶然にしか手に入らないものです。それが師匠のところに届いたことがありました。本当にきれいだった。なんともいえない色が美しく、吸い付くように柔らかい。師匠はそれをハンドバッグに仕立てました。留め金は中心に5カラットほどのダイヤ、その周りをダイヤが六つ囲むように埋め込まれていました。それを桐の箱に入れて、金粉で寿の文字を書いて、袱紗に包んで納めました。それは何に使われるものだったと思います?半玉さんが一人前になるときのお祝いです。吉原に行って、師匠から言われた通りの口上を述べるんです。『本日はお日柄も良く』とかなんとか。すると向こうが『ありがたく頂戴します』とか言って、お返しにお菓子をくれました」

師匠や兄弟子たちの狂気と紙一重の情熱、技への傾倒が、鞄に魂を宿らせるのかもしれない。「料理人と同じでね。いい素材に会うと、身震いするような、自分が試されている気になる」と英三は言う。

―続く―

投稿者:京都御池店

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『北の鞄ものがたり』より④

北室かず子さん著の『北の鞄ものがたり〜いたがきの職人魂』から、職人たちの時代やいたがきの製作秘話を抜粋して、毎日少しずつお届けします。

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■鬼気迫る職人の仕事①

当時の職人魂を英三はこう振り返る「職人というのは男でしたから、男の仕事、とりわけものづくりの究極には女性がいる。近くにある吉原から電話がかかってくるんです。電話に出ると先輩からで、親方から金借りて持ってきてくれって。『いかほどですか』と聞くと、月の給料が1万円の時に3万円って。それが月に何度もです。吉原大門をくぐってお金を持っていくと、逃げられないように女物の襦袢を着せられた先輩が出てくるんです。

『おう、英三、すまなかったな。後から蕎麦でも奢ってやるよ』って言って、金を受け取る。そうやって借金を重ねるもんだから、いくら腕がよくても独立できない。でもね、女でこさえた借金を返すために、艶のある、なんともいえないいい仕事をするんですよ。職人が心底惚れた女のためにする仕事は鬼気迫るものがある。僕は両親の生活を助けなくてはいけなくて芸事にお金を使うことはできなかったけれど、師匠や先輩を見ていて、この人たちの仕事は超えられないと今でも思うことがあります」

―続く―

投稿者:京都御池店

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『北の鞄ものがたり』より③

北室かず子さん著の『北の鞄ものがたり〜いたがきの職人魂』から、職人たちの時代やいたがきの製作秘話を抜粋して、毎日少しずつお届けします。
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■丁稚奉公の日々3

仕事中に居眠りをすると、師匠の物差しでポンをやられた。育ち盛りの15歳。いくら寝ても寝足りない、いくら食べても腹が減る。職人の給料が月1万円のところ、丁稚奉公の3年間、給料は月500円だった。

両親と兄たちに会いたくて、夜、布団の中で泣いた。貧しくても家族の温もりに包まれていた日々がたまらなく懐かしかった。しかし涙は長くは続かない。身を粉にして働く丁稚は、コトリと眠りに落ちていた。

師匠が作った鞄の多くは、銀座の谷澤鞄店に納品されていた。「墨田川沿いには材料の革を作るなめし工場、鞄工場、金具などの部品屋さんが集まっていて、できた製品は川を下って銀座の専門店や百貨店に納められたのです」。

台東区立産業研修センター内にある皮革産業資料館の資料によると、江戸時代中期から皮革産業が集まり、明治時代に西洋文化が入って装いが洋風化したことで、皮革産業も近代化され、新しい産業として振興した。

資料館に「銀座タニザワ鞄店寄贈」と書かれたワニ革のボストンバッグが展示されていた。立ち上がる品格と高級感。紳士の持ち物として鞄がいかに重要な意味をもっていたかがひしひしと伝わってきた。

「師匠の手は、それ自体が鞄を作るための道具のようでした。革から信じられないほど美しいものを生み出す。女にはだらしなかったけどね」

―続く―

投稿者:京都御池店

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