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鞄いたがき こぼれ話

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  • 2009
  • 08/09
  • 7:09PM

木の育つスピード

私たちが生きているこの時代は、物が豊富でとても便利な時代です。便利すぎて色々なことが簡単に一度にできてしまうためか、アッと気づいたらもう一年経っていたなんて事がよくあります。時々早起きして外を眺めてボーっと時間をやり過ごすことがありますが、何の生産性もないこの時間が好きで、まるで自分が木になったような錯覚を覚えます。何もしていない、でも頭がスローに動いているそんな感じです。人が成長するスピードは人それぞれ… 今は時の移り変わりの速さに飲み込まれそうになりながら、誰もが必死で生きているように思います。鞄作りも技術もないのに焦りすぎると失敗も多くなり、キャリアがあっても生産性が上がらないとお給料は上がらない、自分の力を知って、あともう少しという気持ちを持って事に臨むのが健全だと思います。木が育つスピードはどんな時代でも変わらない、自然界のバロメータのように思います。

投稿者:板垣 江美

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  • 2009
  • 07/18
  • 7:59AM

赤平という町

我が町、赤平では昨日から日曜日まで毎年恒例の市民祭りが開催中で、好天に恵まれることを願うばかりですが、我が社も遠く25年前に戻って、お祭り広場で出店を出すことになりました。25年前は私とまだ高校生だった妹が販売に駆り出され、お祭り気分に酔った両親の知り合いに義理で買ってもらったことを思い出します。何故いたがきが赤平で産声を上げ、今なお存続できているのか不思議に思うことがよくありますが、この町で人に触れ、共に過ごす時間の中で、自然にその思いは深くなっていくものなのでしょう… 今ではこの町が元気で、少しずつでも良くなっていくことを願ってやみません。最近発行した「いたがき通信」でもご紹介していますが、美しさと厳しい自然に囲まれた農業やものづくりに適した、昔ながらのホッとする田舎町です。最終日の日曜日には市民踊りがあり、仕事の後、練習を積んだいたがきのスタッフも参加します。みんな!頑張ってくださいね!

投稿者:板垣 江美

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  • 2009
  • 07/11
  • 4:09PM

羽原コレクション

羽原コレクションは羽原正吉さんが創業した会社で、羽原さんは板垣英三の自他ともに認める一番弟子、羽原さんなくしていたがきは語れないほど貢献してくれた人です。多くの人に慕われ、人並み外れた根性の持ち主で、厳しさと優しさがバランスよく共存していた親分肌、。タンニンなめしの革がまだまだ知られていない頃、どん底の時代を共に耐えたくれた人で、160番のお財布をはじめ、小物のほとんどは羽原さんが手掛けてくれたものですが、その製品に満足している人がいかに多いことか… そういう人に会うと羽原さんに直接会ってほしくなります。羽原さんが亡くなって6年目の夏を迎えますが、今は奥様を中心に後継者たちが頑張って、羽原コレクションを切り盛りしています。創業当時のことを忘れずに末永く存続してほしいと心から願っています。

投稿者:板垣 江美

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  • 2009
  • 06/21
  • 8:40AM

適正年齢?

先週の投稿に続き、職について考えてみたいと思います。1950年以前は徒弟制度という基盤の中で、私の父のように15歳から丁稚奉公を始めることができました。今はその時期、学校で勉強することに重きがおかれ、職を考える、職に触れる機会が少なく、先の学校に行くことが目的になってしまっているケースが多いように思いますが、7歳で学ぶことを始め、10歳で学ぶことに慣れ、競争意識も芽生える。個人差はありますが、12歳ぐらいから身体も大人になる準備を始め、15,6歳で思春期を迎える。この思春期という時期は、それまでの家族や親の行動を中心に成り立つ守られた環境から抜け出し、自分の意志や行動を通じて外部の人に触れていく、その中で自己防衛本能に気づいたり、自分自身を見つめるきっかけを得る、自己啓発のスタートラインに立つ大切な時期です。この時期に自分の力で生計を立てることを身体で学ぶことが、バランスよく大人になる準備になると思います。

投稿者:板垣 江美

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  • 2009
  • 06/14
  • 8:16PM

丁稚奉公

丁稚奉公というと懐かしい響きがする言葉になってしまい、どの業種でも丁稚奉公を経験した現役は今はもうわずかで、経験者の話が聞ける機会は少ないのですが、物作りに関わっていると15歳から職を学ぶということは心身ともに理想的な年齢ではないかと思います。いたがきの中では社長との雑談や朝礼の中で、当時の話を聞く機会があります。初めの3ヶ月は親方とは全く口を聞いてもらえなかったこと、鞄作りというよりはお掃除、洗濯、仕事場の準備等、現場の秩序や順序をまず体に叩き込まれる。待っていても手取り足取り教えてくれるわけではない、全てがわからず辛いことだらけ、でもそうして仕事をいただけた時にはものすごく嬉しくて、必死でやったそうです。職は与えてもらうものではなく自らが克ち得るということを15歳の若さで体得する。大人になるスタート地点に立った年齢だからこそできる、また独り立ちする準備として克服しなければならない、話を聞いていると丁稚奉公という経験が神聖な儀式のように思えてきます。 …次回に続く

投稿者:板垣 江美

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  • 2009
  • 05/17
  • 3:58PM

商品開発

「いたがき」の商品開発の基本は発案者と作り手の間にプロとして対等な意見交換が行われること、素材を第一優先に考えること、使いやすく丈夫で長持ちする構造であることです。今の時代、何故かデザイナーがもてはやされてしまい、作り手は陰の存在になってしまうことが多いのですが、商品開発はデザイナーの発するすぐれた感覚を、作り手が熟練した技術を駆使してものとして表現する共同作業で、そこに素材に対する知識やお互いに対する畏敬の念を共有する、このバランスがとても大事になります。見た目の面白さや遊び心で商品を開発することが先ではなくて、開発する元には生活に根付いた理由があるべきで、余った革を有効利用することが目的の商品であったり、一時でも若いスタッフの腕をならしスキルアップさせることが目的であったり、若い世代に革を知るきっかけになるを商品であったり…そういう経験を年代を経て時間をかけて積んで行く過程の中で熟練した技や知識を身につけ、集大成としてその人にしかできない個性あふれる逸品が生まれるものだと思います。

投稿者:板垣 江美

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  • 2009
  • 05/02
  • 1:14PM

熟練職人たち

鞍ショルダーをデザインされた長井先生、鞄職人を貫いた清水先生と当時は会長職をしていた父と3人、新製品開発のために2~3週間合宿のように集中して仕事をしていただくことがありました。キャリアの長い人たちですから、ツーカーの中、おのずから役割は決まっていてリズムに乗ると、面白いように仕事が進んでく、じゃーちょっと一休みしてドライブにでも行こうか!とふらっと出かけてみたり… 印象深いのは、決まるまでは喧々ごうごうと意見が交わされていると思うと、鞄の制作に取り掛かるや否や清水先生と父が交わす言葉がガラッと礼儀正しくなり、真剣な面持ちになることでした。こと仕事に対してとても清らかでけじめがあって、傍に身を置くものまで姿勢が正される空気になりました。一生をかけて一つの仕事を貫いてきて、知った者同士の3人が集まって、好き勝手に仕事をしていい物が仕上がっていく、経験した人でなければ分からない極上で格別な時間になったことと思います。

投稿者:板垣 江美

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  • 2009
  • 04/18
  • 7:16PM

清水先生

清水先生はお父様も鞄屋でその二代目、戦後いち早くミシンを導入されたお家の方で、ミシンの押えやちょっとした部品は自分で作り、道具はいつもきれいに手入れをしてお持ちでした。父とは長い付き合いのある方でしたが、私が鞄職人としての清水先生にお会いしたのは1998年、E915の鞍ショルダー小の制作をお手伝いいただきました。1+1が2になる、とても堅実な仕事をされる職人で、自分が関わったら最後まで面倒を見る姿勢が強く印象に残っています。コバ漉き機の部品を勧められ、父に伺いを立てるとシーさん(先生の愛称)が言うなら買っとけば…と、2人とも何にどう使うか?は言ってくれず…、でも勧められるがまま購入して、色々と試して、その部品を自分なりに駆使して作った鞄を見せたら、「いいんじゃない!…」と一言。お酒を飲んだら楽しいおしゃべりが弾みましたが、仕事では口数の少ない方でした。でもその部品のお陰でいたがきの製品の品質はグンっとアップしたと思います。早いもので先生が亡くなってから3度目の春になりますが、今も口数少ない先生の時に厳しかった言葉をハッと思い出し、叱咤激励されている気がしています。

投稿者:板垣 江美

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  • 2009
  • 04/04
  • 9:30PM

名入れサービス

いたがきではご購入いただいた品物に、ご希望に応じて名入れのサービスを行っています。版押しのスペースがあるほとんどの小物はお名前やイニシャルをお入れすることができます。鞄には控えめに名入れをした革タグをつけるようにしています。限りなく素仕上げに近いタンニンなめしの革は厚みがあり、硬さもあるのでお名前が革の表面にくっきりときれいに焼けて入ります。華文字のアルファベットなので、重厚感もあり、ご自分の名前が入っていることで嬉しさもひとしおのようでとても喜んでいただいています。この版押しの機械は社長の板垣英三が自らの発想で制作会社と一緒に開発したもので、ゴルフボールの名入れからヒントを得たようです。当時はあまり馴染みのなかったタンニンなめしの革の良さを、少しでも多くの方々に知っていただくきっかけになればという思いが込められています。http://www.itagaki.co.jp/products/name.html

投稿者:板垣 江美

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  • 2009
  • 03/21
  • 8:13PM

タンニンなめしの革

「いたがき」が使い続けているタンニンなめしの革を知るには、使って馴染んでいくその過程を実感するのが一番です。タンニンなめしというのは古来からのなめし方法で、馬の鞍や自転車のサドル、靴の底などは典型的なタンニンなめしの厚くて硬い革で作られています。革は本来硬いもの、使って触れて手入れをしていくうちにだんだん馴染んで柔らかくなるその過程は人の人生とも重なるように思います。長く使っていくうちに、長く付き合っていくうちになくてはならない人、なくてはならないものになり、その良さはかけがえのないものにかわっていきます。「いたがき」の赤平本店に昨年、ご寄贈いただいた27年前の創業当時に父と母で手がけた鞄が展示されています。大事に使っていていただいたのでしょう、過ぎ去った時間を感じさせないほど損傷もなくいい状態で保管されています。必見の価値ある素晴らしい鞄です。寄贈してくださった方のお気持ちに恥じないようにいつも励みにしていきたいと思っています。改めましてありがとうございます。

投稿者:板垣 江美

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