北室かず子さん著の『北の鞄ものがたり〜いたがきの職人魂』から、職人たちの時代やいたがきの製作秘話を抜粋して、毎日少しずつお届けします。

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■鬼気迫る職人の仕事③

ある日、師匠が、兄弟子たちと手縫いの競争をやってみろという。金銭を賭ける者まで現れた。英三は3人の先輩と対決する。しょせん勝てるはずがないと落ち着いて手縫いを進める英三に対して、先輩たちは圧倒的な速さを見せつけてやろうと気がはやった。すると縫い損じて糸をほどいては縫い直すというのを繰り返しているうちに、亀の歩みだった英三が追いつき、やがて追い越して一番に。賭けは膨らんで3万円にもなった。褒美に両親にも会いに行かせてもらえ、母に“いの一番”にお金を渡した。

師匠のところには弟子入りする後輩も後を絶たなかったが、みな、3か月を待たずに辞めていった。いつまでたっても英三は最年少のまま。それでも丁稚奉公を続けたのは、手に職をつけて父母を助けたいという一心からだった。

職人が最高のものをお披露目する年に一度の展示会として、三越の逸品会という催しがあった。師匠は精魂込めて鞄を作っていた。「ところがあろうことか、私が居眠りをして、師匠の鞄に墨を落として台無しにしてしまったんです。でも師匠はひと言も怒らなかった。それからずっと後、江美が生まれた時に師匠に挨拶に行きました。とても喜んでくれて、お前だけだって、来てくれたのって。そして聞いたんです、なんであの時に叱らなかったんですかって。そうしたら師匠が、お前、あのときもしも俺が怒ってたら電車に飛び込んでただろう、俺はそこまでアホじゃねえよって。その10日後に、師匠は癌で亡くなりました」。

―続く―