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鞄いたがき こぼれ話

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  • 2020
  • 04/15
  • 12:00PM

『北の鞄ものがたり』より③

北室かず子さん著の『北の鞄ものがたり〜いたがきの職人魂』から、職人たちの時代やいたがきの製作秘話を抜粋して、毎日少しずつお届けします。
※鞄いたがき公式HP「北の鞄ものがたり」特設ページ

https://www.itagaki.co.jp/syoseki/

■丁稚奉公の日々3

仕事中に居眠りをすると、師匠の物差しでポンをやられた。育ち盛りの15歳。いくら寝ても寝足りない、いくら食べても腹が減る。職人の給料が月1万円のところ、丁稚奉公の3年間、給料は月500円だった。

両親と兄たちに会いたくて、夜、布団の中で泣いた。貧しくても家族の温もりに包まれていた日々がたまらなく懐かしかった。しかし涙は長くは続かない。身を粉にして働く丁稚は、コトリと眠りに落ちていた。

師匠が作った鞄の多くは、銀座の谷澤鞄店に納品されていた。「墨田川沿いには材料の革を作るなめし工場、鞄工場、金具などの部品屋さんが集まっていて、できた製品は川を下って銀座の専門店や百貨店に納められたのです」。

台東区立産業研修センター内にある皮革産業資料館の資料によると、江戸時代中期から皮革産業が集まり、明治時代に西洋文化が入って装いが洋風化したことで、皮革産業も近代化され、新しい産業として振興した。

資料館に「銀座タニザワ鞄店寄贈」と書かれたワニ革のボストンバッグが展示されていた。立ち上がる品格と高級感。紳士の持ち物として鞄がいかに重要な意味をもっていたかがひしひしと伝わってきた。

「師匠の手は、それ自体が鞄を作るための道具のようでした。革から信じられないほど美しいものを生み出す。女にはだらしなかったけどね」

―続く―

投稿者:京都御池店

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  • 2020
  • 04/14
  • 12:00PM

『北の鞄ものがたり』より②

北室かず子さん著の『北の鞄ものがたり〜いたがきの職人魂』から、職人たちの時代やいたがきの製作秘話を抜粋して、毎日少しずつお届けします。
※鞄いたがき公式HP「北の鞄ものがたり」特設ページ

https://www.itagaki.co.jp/syoseki/

■丁稚奉公の日々2

最年少だから雑用も多い。鞄に使うファスナーを買いに吉田工業まで自転車を走らせる。

昭和9年に創業した吉田工業(現YKKグループ)はファスナーの加工販売を行っていたが、昭和20年の東京大空襲で工場を全焼。一度解散し、昭和26年に本社を日本橋馬喰町において再出発したばかりだった。当時のファスナーは、職人が股の間に布をはさみ、金属の歯を1個1個布に打ち込んで作っていた。

「自転車をこいでお使いに行くとね、創業者の吉田忠雄さんが『おー、よく来たな』と言ってお駄賃にキャラメルをくれたんです。1箱ではなく、1粒ね。そのおいしかったこと。脳天がとろけるようだったね」

当時墨田川界隈では、焼け野原からものづくり産業の芽が出始めていたのだ。

いや、東京に限らず、日本中が焼け野原から立ち上がりつつある時代だった。

お使いは救いだった。自転車をこぎながら寝られたのである。「昭和20年代、自動車なんてまだほとんど走ってなかった。ぶつかるとしてもせいぜいスクーターくらい。でも電柱にはよくぶつかったなあ。生傷が絶えなかった」と笑う。

自分の衣類を洗濯していると、先輩が「これも洗っておけ」と、その上に積み上げていく。とにかく朝から夜中まで働いた。1日4食、食べられることが唯一の救いだった。

3か月が過ぎた頃、初めて師匠が声をかけてくれた。そして机の上に包丁を2本、置いていった。「僕にくれるのかな。親方、革を切ってみろってことかな」こんなところに英三の天真爛漫な末っ子らしさがにじみ出る。

「バカか、研いどけってことだよ。俺でも親方に包丁なんかもらったことないぞ」と兄弟子に怒鳴られた。革の裁断は1ミリでもずれると高価な材料をムダにしてしまう。わずか3か月でそんな重要な仕事をさせてもらえるはずがなかった。

兄弟子が研ぐ様子をまねてやってみたが、何度やってもダメ出しされる。やっとわかったのは、頬に当てるとさっと産毛が切れる切れ味に仕上げるのが、プロの道具だということだった。

―続く―

投稿者:京都御池店

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  • 2020
  • 04/13
  • 12:00PM

『北の鞄ものがたり』より①

不安や緊張の続く毎日ですが、自宅で過ごす時間のささやかなお供になれば。そんな想いで北室かず子さん著の『北の鞄ものがたり〜いたがきの職人魂』から、職人たちの時代やいたがきの製作秘話を抜粋して、毎日少しずつお届けします。

創業者・板垣英三が大切にした、自然の生き物からいただく革という素材を余すところなく使い、多くの人の手で作り上げ、永く愛用してもらうことで “ずっと生き続ける”という理想が込められた、いたがきの原点の物語です。

※鞄いたがき公式HP「北の鞄ものがたり」特設ページ

https://www.itagaki.co.jp/syoseki/

#北の鞄ものがたり

■原点

英三にとって、職人の原点は浅草で奉公したときの先輩たち。美しいものを作るために、自分の技術を惜しみなく注いでいた。そうやってできた作品は、隅々まで美しさにあふれていて、生きている喜びを形にしたら、きっとこんな風に輝くだろうという光に満ちていた。

英三は、自分が受け継いだ技術を残したくていたがきを創り、その成果が今、北海道赤平市の工房に宿る。そしてそれは、日本の職人たちの心意気を伝える灯でもある。

■丁稚奉公の日々1

現在の東京都台東区千束。この吉原遊郭にほど近い職人のまちで、15歳の丁稚奉公が始まった。朝5時に起きて家の中と外を2時間かけて掃除する。職人たちが起きてきたら、食事をしている間に布団をたたんで押し入れにしまう。寝ていた場所を仕事場に出来るよう、職人たちの仕事道具を全部出して段取りをする。

職人が食事を終えた後、やっと朝食だ。前日の残りの冷えた外米だったが、それさえほとんど残っていない。おかずもいいところはすべて食べられ、みそ汁の具もほとんどない。冷えたごはんに汁だけかけてかきこむ。食べ終えるのに1分もかからなかった。

それから寝ている師匠の足元で正座し、手をついて「おはようございます」と挨拶をする。かすかに「ふむ」という声。どうせ見ていないだろうと、手をつかずに挨拶をしたことがあった。すると後からきつく叱られた。だから必ず、正座をして手をついて畳に頭をつけるのだ。

やがて師匠が起きてくると、師匠夫妻のふとんを押し入れに片づけて師匠の仕事場を作る。包丁、錐、鋏。道具はぴったりと一直線に尻をそろえてまっすぐに置く。

朝食を終えた師匠がたばこを吸う。その香りに大人の男を感じた。技を磨き上げ、職人たちを率いて自分の城を築いている。自分も吸ってみたいなあと15歳の少年は思った。

―続く―

投稿者:京都御池店

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  • 2019
  • 01/01
  • 9:00AM

2019年新年のご挨拶

新年あけましておめでとうございます。

謹んで皆様のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。

今年は平成から、新しい年号に変わるリレーの年でもあります。

北海道赤平でもここ数年で20代の若者が増えて、急速に世代交代が進んでいます。

その世代が一つの大きな塊となる事で、各部署でも若返りが図られ、

怖いもの知らずの強さと溢れるエネルギーは、やがて現場の空気を一新します。

タンニンなめしの革とものづくりの技術を駆使して、いたがきの品質を維持し、

ニーズにお応えする定番品を充実させながら、一方では大切な顧客の皆様に

ハッとするような新鮮な驚きもお届けできるように、新旧が共に試行錯誤しています。

待ちに待った東京オリンピックを来年2020年に控えて、今年は本格的な準備の1年です。

メイド イン ジャパンを海外からの多くの来訪者にアピールできる良い機会ですので

いたがきならではのオリンピックバージョン製品の開発にも取り組んでまいります。

そして赤平、札幌、新千歳空港、東京、京都、セントレア空港の各直営店にお越し

いただく皆様との関係が深く末永いものになるよう、いたがき製品によりご満足いただけるように

製造スタッフの販売への支援を強化していくことも今年の目標としています。

赤平本社で行っている10月の創業祭のように、作り手と売り手が一つになり、

使い手であるお客様の声を直に聞いて接客や商品の開発に生かすこと、そして

いたがきらしさを表現するスキルとセンスをものづくりの中で考え、時間をかけて

磨いていくことは、そこに関わる人たち全ての永遠の課題と考えています。

お気づきの点やご希望がございましたら、ぜひお声がけください。

世の中は高度経済成長の後にバブルの崩壊、IT産業の台頭、そしてAIの躍進と

山坂を乗り越えて目まぐるしく変化していきますが、いつの時代でも自分を見失わず、

いたがきらしさを保ちながら革新的であれと言う創業者の想いを念頭に、人の成長、

街の活性化に貢献できる組織であるよう精進してまいります。

2019年は亥年、弊社創業者 板垣英三は年男 。10月に満84歳になります。

今年もお引き立ていただけますようどうぞよろしくお願い申し上げます。

元旦

株式会社いたがき

二代目社長 板垣 江美

投稿者:京都御池店

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  • 2018
  • 01/01
  • 9:00AM

新年のご挨拶

新年あけましておめでとうございます。

謹んで皆様のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。

今年は平昌冬季オリンピック開催の年ですね。

若きアスリートたちが今までの練習の成果を思う存分に発揮し、

氷上を駆け抜け舞うその姿を楽しみに開催を心待ちにしています。

越えられない壁の先へ、自分の持つ力をふり絞って世界に挑む姿は、

私たちに大きな感動と未来への可能性、そして勇気を与えてくれます。

戦う若者たちへ感謝の思いと精一杯の声援を送りたいと思います。

時間が過ぎていくのは本当に早いもの。「10年ひと昔」といいますが、

技術の進化と共にその10年前を忘れてしまうほど世の中の変化は大きく、

知らず知らずのうちに時代の波に流されてしまいがちです。

新しい年を迎えるにあたり、一年のささやかな幸せと健康を祈ると共に、

過去を振り返り、未来を見据えて、心落ち着かせた一歩を踏み出したいものです。

弊社はここ数年で10代から80代までが集う大所帯になりつつあります。

やはり世代ごとに考え方が違い、戸惑ったり遠慮したりと大変なこともありますが、

老いも若きも身近にいてお互いがプラスマイナスの経験をすることで

日々刺激を受け、学習し合える環境が少しずつですが自然に整えられてきました。

「ものをつくる」という行いが「人と人が触れ合うことで生まれる摩擦を自分達の力に変える」

発電機となり、製品も人も成長させる糧として精進して参りたいと思います。

これからも皆様の変わらぬご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。

平成30年 元旦

株式会社いたがき

二代目社長 板垣 江美

投稿者:京都御池店

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  • 2017
  • 10/02
  • 9:00AM

いたがき創業35周年に寄せて

弊社は2017年10月2日にお陰様で、創業35周年を迎えます。

これもひとえに皆様のご支援ご愛顧の賜物と心より感謝申し上げます。満35歳は人で言えば、心身ともに脂が乗っている成長期にあたります。今まで培ってきた技術と、新しい世の中のニーズを見極める目をもって、これからも質の良いタンニンなめしの革製品を作り続けたいと思います。

35年を振り返ってみると、実に様々な出来事や変化がありました。創業当時のことを思うと、未だに「鞄いたがき」が存在し得ていることに驚くばかりで、これまで陰ながら弊社を支えてくださった多くの方々への感謝の念に堪えません。

当時から一貫してタンニンなめしの革の良さを世の中に広め、お手入れの重要さと長く親しんでいただける素材であることをお伝えして参りましたが、年を重ねるたびに多くのお客様が理解を深めて大切にご愛用いただいていることに、この場をお借りして御礼申し上げる次第です。

創業者 板垣英三が35年前に家族と共に起こした小さな会社は、今では80数名の従業員たちが働き、家庭内職や協力工場に従事する50名に上る作り手たちが意を共にし、一人一人がいたがきを動かす歯車となって毎日の業務に従事しています。

自分の信じる道を歩むために勇気を出して起業した創業者自身が、これほど多くの人たちがこの仕事を糧に生活を営み、家族を養って人生を送っていることに一番喜びを感じていると思います。

創業者の思いである技術の伝承と作り手と使い手の想いが通じ合うように、これからも40年、50年に向けて、いたがきのあるべき姿を忘れずにものづくりに専念し続けて参ります。

これからも末永くご愛顧賜りますようどうぞよろしくお願い申し上げます。

平成29年 10月2日

株式会社いたがき

2代目社長 板垣 江美

投稿者:京都御池店

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  • 2017
  • 01/01
  • 9:00AM

2017年 新年のご挨拶

新年あけましておめでとうございます。

謹んで皆様のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。

いたがきはタンニンなめしの革製品を北海道赤平で作り始めて今年で35年目を迎えます。

創業当時はタンニンなめしの革の良さを知る人はとても少なく、まずは使ってもらい、

その良さを納得していただくのに長い年月がかかりました。

お客様に革を知っていただくことと同時に、ものづくりの仕事を覚えてもらう”人育て”もいたがきにとって大事な行いでした。

地元の方にも支えていただき、全国で販売する機会を与えていただきながら

じっくりと時間をかけ、ようやく”今”へと繋がりました。

創業当時と現在では北海道はもちろん、世界的にもあらゆる面で大きな変化を遂げており、振り返ってみると、いつも時代に引っ張ってもらい、その流れの中に自分達がいたことを実感いたします。

いたがきの今一番の課題である、未来へ繋がる若い作り手を育てていく事ももちろんですが、それぞれの成長に合わせながら時代のニーズもキャッチして、皆様”使うプロ”のためのものづくりをいつも目標に、これからも変わらず日々精進して参りたいと思います。

これからもどうぞ皆様のご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げます。

平成29年 元旦

株式会社いたがき

二代目社長 板垣 江美

投稿者:京都御池店

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  • 2016
  • 10/01
  • 9:00AM

今月のおすすめ品 Vol.63

鞄いたがきは、お陰様で10月2日に創業34周年を迎えます。これも一重に皆様からのご愛顧の賜物と、社員一同厚く御礼申し上げます。

この34年を振り返り、いたがき創業時より多くのファンを持つ代表作「鞍シリーズ」の魅力を、誕生秘話と共にご紹介いたします。

タンニンなめし革との出会い

英三会長が15歳で修業の道に入った時代、鞄の素材は“タンニンなめし革”が主流でした。丈夫で使い込むほどに艶が増していく、ただ、一筋縄ではいかないタンニンなめし革を使って、美しい鞄を次々と生み出す師匠との出会いから、会長の職人人生が始まりました。

後年、北海道の地でいたがきを立ち上げる際にも「タンニンなめし革の素晴らしさを知ってもらいたい」という想いは変わりませんでした。タンニン革は、自転車のサドルや靴底、ミシンのファンベルトなど、その丈夫さゆえ、道具として活躍していたものの、革のなめしにも、加工にもかなりの手間がかかる為、作り手にはあまり好まれない素材でした。「よく、そんな革を相手にしたね」と仲間からあきれられる程でしたが、実直な英三会長はそんなタンニンなめしの革と向かい合い、コツコツと鞄を作り続けました。

いたがき第一号作品「鞍」の誕生

「何か会社のシンボルになる鞄はないものか」。北海道で創業することになり、その一番の課題に取り組んでいた時、1つのデザイン画が持ち込まれます。それは美しい“鞍”の姿をした鞄でした。そこから経験豊富なデザイナーとタンニンなめしの革と、ものづくりへの情熱に満ち溢れていた英三会長の奮闘が始まりました。完成までの道のりは長く、ただでさえ曲線が多く複雑な形を、難しい素材で作り上げるのは大変な困難で、試行錯誤を繰り返し、ようやく第一号が完成する頃には1年半が経過していました。こうして出来上がった、いたがき第一号作“鞍ショルダー”は「今も昔も、こんな鞄はあなたにしか作れない」と職人仲間からも称賛される、いたがきの代表作となったのです。

究極の職人技を込めた「鞍」

いたがきの“鞍”は「無から生み出す」発想力と、タンニン革を知り尽くした長い経験、そして熟練の職人技の集大成とも言える鞄です。内装など見えない部分にも考え抜かれた工夫が施され、その縁の下のパーツのおかげで、無駄になる革はほとんどなく、見た目にも無理のない、内面からにじみ出るような美しい表情に仕上がるのです。

例えばE919鞍ショルダー大は、57個もの革パーツから組み立てられています。重要なのは鞄の土台となる後ろボディで、一番良い部分の革を使います。縫う人だけでなく、裁断する人の技量も問われる製品です。独特の立体的なフォルムは、厚い革が折れないように、ゆっくりと時間をかけて、慎重に曲げながら形作られていきます。

そして究極は、ショルダーを取り付ける部分の“手縫いの根革”です。これは鞄を完成させてから、最後に仕上げるパーツで、まず手縫いが出来る人でないと思いつかない、手縫いができてもやりたくないほど手間のかかる作業です。それでも「このパーツがないと、この鞍のデザインは完成しない」と言う、職人の高い志から生まれた独特の手法なのです。

英三会長から受け継がれる「鞍」

「硬い、重い」と言われ、表立って注目されなかったタンニン革を「丈夫で、年を経るごとに美しくなる」素晴らしい革であると、世の中に伝えるために生まれた“鞍”シリーズ。

英三会長の想いは、長い年月を経て、今では若い職人たちに受け継がれています。

お客様から「いつか欲しい憧れの鞄です」と言われるように、若い作り手たちにとっても「いつか作れるようになりたい目標の鞄」なのです。すでに完成している鞍を縫うことは出来ても、一からその形を生み出すためには、20年以上の経験と修行が必要です。

ものづくりは一朝一夕に成らず。日々の地道な作業を繰り返して、ほんの一握りだけが花開く世界でもあります。会長からベテラン職人へ、そして職人の卵たちへ、“鞍”を目指す事で日本の伝統である“職人魂”は受け継がれていきます。

完成から34年目。新しい「鞍シリーズ」へ

今年の創業祭では、今までの鞍シリーズに新しくE934「鞍ショルダー小型」(キャメル1色・受注生産)B915-13「鞍ショルダー小」(ネイビー)、B113-13「馬蹄ドル入れ」(ネイビー)が登場します。お客様からのご要望が多かったサイズや、人気の高いネイビー色を取り入れた限定商品です。

鞄作りの全てが詰まっているいたがきの”鞍“シリーズをぜひ、店頭でご覧下さい。

皆様のご来店を社員一同、心よりお待ちしております。

投稿者:京都御池店

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  • 2016
  • 03/26
  • 9:00AM

北海道新幹線開業記念・JR北海道といたがきのお話

<北海道に新幹線を>

2016年3月26日。いよいよ本日、北海道新幹線が開業します。

新青森駅から青函トンネルを通って新函館北斗駅まで。本州と北海道を初めてつなぐ新幹線となります。

北海道新幹線は今から43年前の昭和48年に整備計画が出され、調査や検討を重ねて平成17年にようやく工事が着工されました。

北海道新幹線には、はじめから大きな“壁”がありました。在来線と共用の3本レール、トンネル内の風圧、厳冬期の雪や氷など様々な“強敵”と闘いながら、安全確認や試験走行が繰り返され、一つ一つをクリアする為には、日々多くの人の大変な努力があったと思います。「-北海道に新幹線を-。」そう願った人たちの大きな夢を乗せて、ついに北海道新幹線は走り出します。

<北海道新幹線×いたがき・コラボ商品>

北海道新幹線グッズ

いたがきでは地元北海道の企業として、新幹線とのコラボ商品を製作しています。H5系のロゴを型押したコースター、新幹線初のファーストクラスとして注目の最上級席「グランクラス」のシートと同じ白い革を使ったパスケース・IDケース・マウスパッドなど4種類です。この商品はいたがきでは販売しておらず、JR北海道・札幌~函館間を運行している「スーパー北斗」の車内、またはJR北海道の通販でのみお買い上げいただけます。

※詳しくはJR北海道・客室乗務員センター(TEL/ 011-261-6819)までお問い合わせください。

<北斗星から始まった不思議な縁>

最後にいたがきが北海道新幹線とコラボ商品を作るまでの不思議なご縁のお話をします。昭和63年、青函トンネル開通と同時にデビューしたブルートレイン「北斗星」をご存知でしょうか。それは上野駅から札幌駅まで約1,200kmを結ぶ日本初の豪華寝台特急でした。北海道新幹線の開業と入れ替わりに2015年8月22日、たくさんのファンに惜しまれつつ27年半の歴史に幕を閉じました。

その北斗星が開業する時、こんな話が舞い込んで来ました。「客室のルームキーを革で作れないか」。当時のいたがきは今のように立派な工房も無く、ほんの数人が鞄を作る小さな会社で、数ある製作候補のひとつに過ぎませんでした。その後、まるで糸を紡ぐように不思議なご縁をたどって、正式にルームキーを作る事となります。

ある時、北斗星のロイヤルに宿泊している男性客が「この革のルームキーを旅の思い出に譲ってくれないか。」とたずねたそうです。もちろん列車の用度品ですから「非売品でお売りすることは出来ません。」と車掌は答えました。ところが、その男性は客室に一万円を置いてルームキーを持って帰ってしまったそうです。実は前から売って欲しいという声が多数寄せられており、このハプニングをきっかけに、北斗星の乗車記念のグッズを作って車内販売する事が決まりました。

以降、北斗星が役目を終えるまでの27年間、ルームキーとともに乗車記念の品もずっといたがきで作られていました。

(※北斗星グッズは現在、生産・販売とも終了しています。)

当時の北斗星乗車記念グッズ

赤平の小さな会社が一歩前進するきっかけとなった北斗星。それを繋いでくれたのは、当時JR北海道の営業本部長をされていた方でした。その方は北海道を盛り上げたいと、たくさんの地元企業を支援され、いたがきの事も長きに渡り応援して下さいました。お亡くなりになった後もその方の意志を継ぐ人たちによって、北海道新幹線のコラボ商品へと、ご縁が繋がりました。

「いたがきのおやじさんは良いものを作ってくれる。」英三会長を親しげにそう呼んで、いたがきのものづくりを応援して下さいました。分け隔てない優しい笑顔、北海道への深い愛情とその高い志を私たちは忘れません。

新幹線開業の晴れの日を節目に、ふと過去から続く不思議なご縁を思い起こしました。

北斗星から新幹線へ。進化する北海道とともに、これからも皆様へ良い製品をお届けする為、気持ちを新たに前進して参ります。今後とも鞄いたがきをご愛顧いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

投稿者:京都御池店

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  • 2016
  • 01/01
  • 9:00AM

2016年 新年のご挨拶

新年あけましておめでとうございます。

謹んで皆様のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

人一人の成長や世の中の移り変わりを考えると、その一年一年に

少なからず意味があり、振り返って考え、未来に向かて目標を掲げ

毎日を繰り返す中で、時に発見したり、偶然の出会いがきっかけになり

刺激をいただき思いを巡らして、一歩一歩前進していくものだと思います。

ただその過程を自分の中だけで処理してしまうと、かかる時間の長さ故

いつしか翻弄されて、先が見えなくなってしまうこともよくある事でしょう。

自由という柵のない選択ができる今の時代、選べることに舞い上がり

選択したことの責任や継続することの義務を軽視してしまいがちです。

思うよりも人生は短く、その年その年毎に前進するための意味があるので

何も分からず社会に飛び出した若者が、初心を貫いて続けていけるよう

社会、会社、学校、家族はレールのような存在になるべきと思います。

想像を超える幾多の苦難を乗り越え、青函トンセルが開通して28年

昨年勇退したブルートレイン北斗星に代わり、今年2016年はいよいよ

北海道に新幹線が開通する記念すべき年になります。

鉄道が敷かれることで人の生活が活性化されてきたように、人の人生も

一つの道を長く続けていくことで、見えないキャリアがいつしか自信となり

成長を支えるものだと思いますので、人から人へ、世代で役割を分担して

見えないものにこそ敬意を払えるように若者を育んでいきたいと思います。

いたがきの製品をご愛顧くださる皆様からも、温かく、そして時には厳しく

いたがき若手スタッフを見守って下さいますよう心よりお願い申し上げます。

平成28年 元旦

株式会社いたがき

二代目社長 板垣 江美

投稿者:板垣 江美

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