いたがき通信 Web版 Vol.12(2012年春号)

いたがきに関する話題をお届けしている
年3回発行の「いたがき通信」
今回の特集は

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いたがき30年を振り返って—創業期~直営店構想までーつくり手発信のものづくりを

おかげさまを持ちまして、いたがきは創業をして30年を迎えました。これも、ひとえに皆様のご支援のたまものであると感謝を申し上げると共に、より一層の発展を目指して取り組んで参りたいと思う次第です。そこで、今年のかわら版では、いたがきの30年を振り返り、今後いたがきの目指す姿について、3部構成にてお届けしていきたいと思います。

市政30周年 オリジナルコースター

赤平での創業と基盤づくりの時代

1982年10月2日、いたがきは、赤平市幌岡町に会社を設立しました。当時は、教員住宅2部屋からのスタートで、創業してからの数年間は、仕事が潤沢にあるわけではありませんでしたので、近所のテナントで委託販売をしたり、時には他の会社のOEMを引き受けたりもしました。また、赤平市から市政誕生30周年記念品としてオリジナルコースターを2万枚の受注、親戚で深川のホテルを経営している板倉さんにホテル内で商品を販売、地元有志の方々に記念品として取り計らってもらうなど、赤平の方々からのご支援を受けながら、地元で細々と業を成していました。

紙・電波媒体で販路を全国に

1986年、
通販生活に掲載されたことがひとつの転機となりました

1986年に転機が訪れました。通販会社カタログハウスとの出会いです。紙面に、「板垣バッグ」として鞍ショルダーが掲載されたことによって、全国にいたがきを知ってもらう機会となったのです。当時の家業体制では、到底対応できる受注内容ではありませんでしたが、毎晩、徹夜をして何とか納品に間に合わせたほどです。また、当時に開発して提案した鞄として、タウンボストン(現E560)は、今でも多くの方に馴染みのある商品となっています。この出来事を契機に、1988年に開通した北斗星の車内販売用ノベルティ(ルームキー)の受注、1992年に開港した新千歳空港での販売と、地元の赤平だけではなく、北海道全域や全国へと販路も増えてきました。また、1988年頃に、横浜にて始めて催事出店をしたこともあります。これが、後の北海道物産展への出店に繋がるきっかけとなりました。

ジーンズでもスーツでもどんな服装にも、不思議と自然にマッチするこの鞄は、いたがき創業期に誕生して以来、現在まで20 年以上愛され続けています。タンニンなめし革でしか表現できない丸いフォルムは、素材の良さをどこまで引き出せるかという想いから生まれたデザインでした。マチがジャバラ状で動くため、スリムタイプのお弁当箱なども収まり、実用性もあります。カタログハウス「通販生活」に掲載され、まだ無名だったいたがきが多くの方に知られるきっかけとなった商品です。

今では、赤平本店にご来店下さる方も増えてきましたが、当時の赤平というと知名度はまだ低かったため、札幌に店舗を設けることを決意し、1991年にいたがきの平岸店を開店しました。この平岸店を全国TVの生放送で取り上げていただき、少なくとも3日間は電話が鳴り止まず、メディアの力の凄さを実感したことも記憶に残っています。1995年には、平岸店は閉店しましたが、自らが販売して顧客の声を聞く場所の必要性=直営店の開設は、創業時からの念願でもあり、次号で紹介する東京麻布十番店への出店にも繋がって行きます。

女性の社会進出と
機能性を重視した鞄づくり

1990年代に入ると、1986年の男女雇用機会均等法の制定もあり、女性の社会進出も活発化し、ラグジュアリーな海外ブランド品がよく売れた時代でもありました。しかしながら、いたがきのタンニンなめし革は、おしゃれ鞄というより、機能性を重視した働く女性の為の鞄を主力として商品開発を行ってきました。その中で誕生した鞄が、A4サイズが入るトートバッグや、柔らかめのモミのタンニン革を使った商品でした。今でも、この機能性を求め、より長く使える鞄を求める方は、時代を経ても変わらず求められていることは、実感をしているところです。

今回は、いたがきの創業時から現在のいたがきの礎となったエピソードにフォーカスをして紹介をしました。次回は、直営店構想から今に至るまでを、ダイジェストにまとめて紹介してまいります。

いたがきのものづくりは『基本に忠実』

今回は、いたがきを裏で支え続けてきた板垣貴美子副社長と創業期から在籍している社員(内藤・山崎)が当時の様子を語らいました。

副社長
板垣 貴美子
S57年10月(創業時)入社

製造部修理班
内藤 公恵
S62 年5 月入社

総務部経理課
山崎 裕美
H3年12月入社

内藤が入社した当時の社員数は6名、山崎の時には20名。とにかく仕事に追われる日々で、家業から企業組織らしくなってきたのは、創業して15年経ったあたりから。それまでは、OEMを受託したりよろず屋としての仕事も請けたりするような、いつ倒産してもおかしくない、綱渡りの日々だったと、ついこの間のことのようにお話をされていました。このような中でも、板垣社長は『もっと会社を大きくして、社員が働きやすい環境をつくっていきたい』とビジョンを語っていたそうで、その言葉にも勇気付けられたそうです。

現在では、作業効率を高める為に一部の作業で機械を使用していますが、当時は、機械が無かった為に、やすりをかけて革のふちを磨く作業などは、指を使う手仕事で行っていたそう。その為に指が変形している方もいて、今よりも相当に厳しい環境下でのものづくりで、時には事務員も総出で作業を手伝うこともしばしばあったそうです。皆さんが共通に話されていたことは、「こんなに大きくなるとは、誰も想像はしていなかったけれど、どんなに時代が変わったとしても、いたがきのものづくりは『基本に忠実』であること」。この理念は、30年経過した今でも、受け継がれていることでこれからも守り続けていきたいと感じています。

※グレーの文字は主な世の中の出来事です。

1982昭和57年 株式会社いたがき設立

鞍ショルダー
CDが誕生、500円硬貨登場
1983昭和58年 キーホルダー類
東京ディズニーランド開園
1984昭和59年 赤平市30周年記念コースター受注
江崎グリコ事件
1986昭和61年 カタログハウスに掲載される
プレイング束入れ
男女雇用機会均等法施行
1987昭和62年 北斗星開通
1988昭和63年 本社工場増築
サイドハンドルポーチ
青函トンネル開通
1989平成元年 北斗星ノベルティ受注
昭和天皇崩御、消費税導入
1990平成2年 本社工場増築
タウンボストン
1991平成3年 札幌平岸店オープン
ボストンバッグ
ソ連消滅
1992平成4年 ズームイン朝にて紹介される
北海道物産展が盛んになる
マルチトートシリーズ
パンプキンシリーズ
トートバッグシリーズ
貝がらシリーズ
日本人初スペースシャトル乗組員毛利衛さん宇宙へ
千歳空港ターミナルビルオープン
1994平成6年 ウェーブショルダー
ドル入付札入れ
村山連立内閣発足
1995平成7年 札幌平岸店閉店
東京麻布店オープン
スクエアシリーズ
阪神大震災
地下鉄サリン事件
1996平成8年 ハンドバッグ
1997平成9年 同社専務(現社長)ドイツにて
《Emi Itagaki Design》設立
京都議定書発足
消費税5%に改定
1998平成10年 長野冬季オリンピック
2000平成12年 鞍ベルトポーチ
雪印乳業食中毒事件
2001平成13年 アメリカ同時多発テロ事件(9.11 テロ事件)
2002平成14年 日本韓国共同開催サッカーワールドカップ
2004平成16年 マルチトートA4
アテネ五輪開催
2005平成17年 愛・地球博覧会開催
2006平成18年 リュックサックA4 3way
2007平成19年 麻布十番店リニューアルオープン
京王プラザホテル札幌店オープン
第二回ものづくり日本大賞 優秀賞受賞
2008平成20年 新社屋完成
ロゴ改定

明日を支える元気なモノ作り中小企業300社に選出
北海道・洞爺湖サミット開催
2010平成22年 京都三条店オープン
上海万博開幕
2011平成23年 東日本大震災
2012平成24年 京王プラザホテル新宿店オープン
内装ウィンタン仕様スタート

いいものに出会うきっかけに… 新社会人応援フェア 3月1日から4月30日までの2ヶ月間、新社会人の方に限りいたがき製品を10%offにて提供いたします。

つくるプロから使うプロの方へ 革のお手入れ

再生革は、特に靴の産業から出る革の端切れを粉砕して固め、表面をコーティングしロール状にしたもので、貴重な資源の再利用の目的で作られています。20年程前にその存在を知りましたが、当時は素材としては硬くて重く、裂けやすかったため実用には躊躇しました。欧米では再生革開発の取り組みに50~60年の歴史があり、いたがきが使用している再生革はスイス製で、10年ほど前から改善が進み、柔軟性も加わり表面の仕上げも本革に近い状態になってきています。 今年より品質向上のため、これまで合成皮革を使用していた、いたがき定番商品の内装にもこの再生革を使用していくことになりました。再生革仕様の商品品番はEW表示となります。

編集後記

今年のいたがき通信は、創業30周年を記念し3回に渡って、いたがきのあゆみをご紹介します。
また、5店舗目の直営店として京王プラザホテル新宿店がオープンしました。 益々賑やかになるいたがきを、今年も皆様にお伝えしていきますので、どうぞご期待下さい。

訃報 前号麻布十番の記事でご紹介した、長井恒高氏が昨年、平成23年12月14日急逝されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。